尾崎豊 命日

 

 

 

 

私が初めて東京に訪れたのはちょうど一年前 ( 4月 )

 

 

 

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そして向かった先は尾崎豊歌碑がある場所、渋谷

 

 

 

 

慣れない人並みをかき分けイヤホンから流れていたのは

 

スクランブルロックンロール

 

 

 

よくわからない東京で少し孤独な自分を抱えつつも

大好きな人に会えると思うと胸がいっぱいで

渋谷駅を出てすぐの花屋さんで小さな花束を買い歩道橋へ向かいました

 

 

階段を登り始め心臓は高鳴るばかりでした

そうすると、ギターの音色や歌声が聞こえ始めました

 

 

命日になると歌碑の前に集まりこのようなことが行われているそうだ

 

尾崎豊を好きなひとたちが集まり思い思いに感情をぶつけている

そんな場所を不思議に思いながらもなんだか居心地良く感じました

 

 

 

歌碑の周りにはたくさんのメッセージに缶コーヒー花束があり

時代を超えても愛され続ける彼はすごいなと感じました

 

 

 

私はギターを手に歌ってる人の前に立っていた

「あぁ、この曲。私が尾崎豊と出会った曲だ」なんて思ってたっけな

 

 

 

まだ肌寒い夜の中でしたがそれどころじゃなかった

尾崎豊についていっぱいいっぱい考えていた苦しかったし嬉しかった

 

 

 

 

 

ふと思い出す尾崎豊に出会った時を

 

苦しくて苦しくてもがいていた高校生活

関連動画で見つけた「僕が僕であるために」という曲名

 

なんだこの曲名は。どんな歌なんだろうか

そう思って聞いたとき涙がでた。

 

 

 

僕が僕であるために / 尾崎豊

 

心すれちがう悲しい生き様に ため息もらしてた

だけどこの目に映る この街で僕はずっと生きてゆかなければ

人を傷つけることに 目を伏せるけど 

優しさを口にすれば 人は皆傷ついてく

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない

正しいものはなんなのか それがこの胸に解るまで

僕は街にのまれて 少し心許しながら

この冷たい街の風に歌い続けてる

 

 

 

 

 

やっと何かしがらみから解放されたような気がした

この歌にすがってないとやりきれない毎日だった

 

 

 

 

歌を好きになるのはきっと自分の気持ちや現状・理想とどこか重ね合わせてるのだろう

それが悪いことだとは少しも思わない

 

歌がない毎日を考えると苦しくてたまらない

現に私も重ね合わせ必死にすがりついていたからだ

 

 

 

 

その中でいつの時代になっても受け継がれる歌があるっていうのは素敵なことで

こうしてひとりの人間を救ってくれたの。凄く感謝してる

 

 

 

 

 

前までは自分の死をも重ねるほどだったか

前よりは自分の心を区別できるようになったので自分でも安心している

 

 

 

 

 

でも、きっとこれまでのように尾崎豊は私の心の支えであることに変わりはないだろう

 

これから私の心の成長と共にいろんな歌手・曲・歌詞と出会いを増やすことによって

心の成長の糧が増えるのだと思うともっともっともっと出会っていきたいなって

 

 

 

 

 

 

尾崎豊の息子の尾崎裕也のライブも少し気になってる。

近々いけたらいいな。

 

 

 

 

 

 

あらためて、尾崎豊にありがとう。

そしてこれまで以上にまた宜しくお願いします。